自分らしさを取り戻し、穏やかに笑顔で過ごすための漢方習慣

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言葉について。

最近とても有難いことに、「言葉に癒されています」とか、「心に沁みます」と、メッセージをくださる方がいらっしゃり、少しでもそんな方がいるなら、細々ながらTwitterやブログを発信していて良かったなと思う。

 

わたしは言葉のプロではないし、心のプロでもないけど、ほとんどの言葉を、「あの頃の自分」に向けて、どうにかここまで這い上がってくるようにと、願いをこめて綴っているから、それが誰かの心に響くことがあるのかもしれない。

 

日常生活のなかで、「その人はいまどんな段階/状況にあり、どんな言葉/声かけが必要なのか」を明確に分かって、声をかけてくれる人はいない。なぜなら、人間関係は対等だから。あなたの成長をずっと側で見守り、必要なときに必要な声かけをし、あなたのペースを守り、必要なときに手助けをし、必要以上には手を貸さない、、、なんて、対等な人間関係ではあり得ない。唯一それが許されるのは親と子、なのだと思う。(上司/部下ももしかしたら似たような構造になるかもしれないけど、生身の人間にそれを期待するのはかなり厳しいのではと思う。)

だから、大人になってそれを望むなら、カウンセリングやコーチングなどプロの手に頼るしかないと思う。

(わたしは身体に関しては、それに近いことをやっているのかもしれないと思うし、できるだけそうでありたい。その人にいま何が足りていなくて、何が余ってしまっているのか。何が原因で本来のその人らしさを失くしてしまっているのか、考え、分析し、寄り添い、薬を出して回復に導いていく、、、)

 

大人になったいま、そんな力を持つ言葉達というのは自分で見つけるしかない。だから多くの人が本を読み、ブログを読み、会ったことも話したこともない人の言葉に癒され、励まされ、毎日を生きているのだと思う。

 

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本好きな人は皆感じることなのかもしれないけれど、活字や行間が発する雰囲気というのは、その書き手が胸の内にひっそりと大切に持っている"想い"というのが滲み出て、なぜか隠しても隠しきれない。この感じは何なんだろう、、いつも思うけど、ほんとうに不思議。

 

わたしはある人の小説が好きで、よく読んだ。泣く場面ではないのに、なぜか涙が止まらなくて訳が分からなかったことがある。

ある日、その人が何かの雑誌のインタビューで、「どんな人に向けてどんな想いを持って小説を書いているか」という質問に答えていて、絶句した。

わたしがその人に惹かれている理由が心の底から理解できた。

書き手の想いというのは、決してごまかすことはできない。全て出てしまう。心の深いところでつながって、ときに自分の根幹を揺るがすくらいの衝撃を残す。もうこれは身に染みて分かってしまった。

 

だから、冒頭で述べたように、もしわたしの言葉に何かを感じ、心を動かされた方がいるなら、きっとわたしが救いたいと思っているあなただから、どうか自分を諦めずに、ここまでおいで、と思う。実際に会わなくても、相談を受けなくてもいいから、諦めずに生きてて欲しい。わたしはわたしで、どんどん先を歩いて、こんなに楽しいことがあるって道を示せたらいいなと思うし、深い海の底もいいけど、こっちも楽しいよって、わたしの生き方で示せたらいいと思う。