少しずつ成長するということ
昨日、漢方界の大先輩と川沿いを散歩しながら色んな話をした。ゆっくり歩いていい時間だった。
「"患者さんを良くする"というのはおこがましいね」という話をされていて、ウンウン、よくわかるなぁと、首がもげた。
一時的に良くなった!薬がよく効いた!と思っても
気候や気圧などの自然や環境の大きな変化によって悪くなったり、前の状態に戻ったりする。
薬が合ってた!良かった!という、相談を受ける側の万能感なんてものはすぐに幻想だと思い知らされる。そんな簡単なものじゃない。
自然の大きな流れには敵わないし、その人を取り巻く環境や加齢には抗えない。
じゃあ、良くなろう、回復しよう、とすることは無意味なのか?
これは食べ物を食べてもお腹が空くのになぜ食べるの?という問いに似てる気がする。。
どうせ散らかるのになぜ片付けるの?
また悪くなるのになぜ良くするの?
どうせいつか死ぬのになぜ生きるの?
.....
良くなってもいつか悪くなるけど、今は若くても必ず歳をとるけど、
少しずつでも良くなろう、回復しよう、と思うのは、昨日より少しでもより良い自分に近づくためじゃなかろうか。
一時的に悪くなっても、この前よりかは立ち直りが早かった。
状態が悪くなっても、大事になる前に手を打てた。
ズドンと落ちても、なんとか自力で這い上がれた。もしくは上手に他人に頼れた。
不調があっても、こんな日もあるかと受け入れられた。
転び方が上手になるというか、泥んこになっても、そこから這い上がる強さを身につけるというか。
良くなったり悪くなったり、また良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、
少しずつ成長していくのが、日常を生きるということなのだと思う。
良いときも悪いときもあるよね、それも自分だねと受け入れながら、喜んだり少し落ち込んだり、でもまた前を向いたりを繰り返しながら少しずつ成長していく。そんな感じでいいのでは。
そしてそうしながら、自分のあらゆるパターンを覚えて、自分の攻略本を作っていく。
以前の失敗や振り返りを、次に活かして、より良くなっていくイメージ。
漢方相談はそのためにあるよねぇ、と。
いずれは自分の状態に合わせて、自分で薬を選んだり、対処できるように。
その、いずれくる自立のために伴走するのが、漢方相談を受ける者の役割ではなかろうか。
そんなことをゆるゆる話しながら、じめじめな川沿いを、紫陽花を横目に、ゆっくりと歩いていたのでした。
良い日曜日だったなぁ